「まゆか・FXデビュー」「為替の仕組み・読み方」に続く初心者シリースの第三弾「テクニカル分析入門」堂々スタート!

 テクニカル分析、チャート分析の解説に入る前に、林先生がなぜテクニカル分析を勉強するようになったのか、その経緯を述べていただきます、これからテクニカル分析を勉強する人には必読です!!


「プロローグ テクニカル分析への招待」

6 アンチ・チャート論について考えてみよう

  テクニカル分析に対する偏見・誤解に答える


<限界はファンダメンタル分析にもある>

 ここで、テクニカル分析の限界、あるいは、アンチ・チャート論について、若干述べておきます。
 まずは、ファンダメンタリストからの批判です。
 カウンティング(目標値の算定)に弱いこと、「騙し」があることだといいます。そのとおりでしょう。チャートとは、基本的には現在のいる位置を示したものにすぎないのであり、それを認識したうえで利用すればよいのです。
 また、手法自体に客観性が乏しく職人芸的で合理性が感じられないといった意見もあります。手法が多様で、安心して使えないとする意見も多いようです。
 しかし、以上のテクニカル分析に対する批判は、すべて、ファンダメンタル分析の欠点でもあることに気づきます。テクニカル分析にも当然限界があります。ただし、そうした限界はファンダメンタル分析にもあるわけです。

<テクニカル分析の内容についての誤解>

 バートン・マルキールは『ウォール街のランダム・ウォーカー』の中でスカート丈指数なるものを紹介しながら、テクニカル分析を貶めています。
 スカート丈が短い年は株式相場は強気で、スカートが長いと株式相場は弱気だというのです。私としては、そんなくだらない話には付き合うきもありませんが(馬鹿話としては面白い)、それをテクニカル分析だというのだけは止めてもらいたいものです。
 よしんば、テクニカル・アナリストが、まじめにそう言ったとしても、それはテクニカル・アナリストとしての発言ではなく、コメディアンとしての発言(本人は自覚していないかもしれませんが)なのです。
 スカート丈に続けて、スーパー・ボール指数、オッド・ロッター理論(端株取引者の反対取引をすればよいという仮説)等々を紹介してテクニカル分析を揶揄しています。

スカート丈で相場が予測できる?

 ごく限られた範囲の技法がテクニカル分析の全体ではないのと同様、何でもかでもテクニカル分析だとしてほしくはありません。テクニカル分析の定義についは改めて後述しますが、狭義には価格と時間と出来高が研究の対象であって、スカート丈ではないのはわかっていただけると思います。

 私見では、因果関係を追求するのはファンダメンタル分析の領域です。為替と金利差・経常収支はそれらしい。太陽黒点は、、、スカート丈と株式相場、、、どこまで科学的でどこからが科学的でないのかは私には判断がつきかねますが、いずれも、私の言わんとするテクニカル分析ではないことは確かです。
 かつてニューヨーク・タイムズにニューヨークのストリップ・クラブの数と株価に相関があると載ったことがあります。ホルモンの関係(アカゲザルのテストステロンと同じだそうです)があるらしくて、ストリップを見れば元気が回復して翌日には相場に臨めるというのです。
 しかし、ホルモンの話が本当だとしても、そもそもその男は、売りポジションで負けたのでしょうか、買いに出て負けたのでしょうか。いずれにせよ、因果関係があるというならば、それはファンダメンタル分析だ、といえば、ファンダメンタリストは怒るでしょう(トレーダーが女性の場合はどうなるのかなとも思います)。
 マルキールのスカート丈には反論する気にもなりません。そんな話を読んでテクニカル分析は駄目だといわないでほしいものです。
 私も駄目なファンダメンタリストを数多く知っていますが、私は、だからファンダメンタル分析は駄目だとは思いません。中国の大学の金融工学研究所長に「サミュエルソンはテクニカル分析を認めていないがどう思うか」と聞かれたことがありました。私は、「たぶん、彼の身近に優秀なテクニカル・アナリストがいなかったからでしょう」と答えました。

<相場はランダム・ウォーク>

 もう少し、マルキールへの反論を続けましょう。テクニカル分析で儲けるなら、コメントなど流さないで自己資本でやればいいではないかと彼は言います。これもコメンテーター批判であって、テクニカル分析批判にはなっていません。ファンダメンタリストもコメントを流しています。ジム・ロジャーズならこう言うでしょう。「給料日しか金と接点のない大学の教員に言われたくない」と。
 ランダム・ウォークには、ウィーク型、セミストロング型、ストロング型がありますが、要するに、不可知論の強度による区分でしょうか。彼らの立場から言えば、不可知性の強さの順に、ランダム・ウォーク学派、ファンダメンタリスト、テクニカル・アナリストと並ぶのでしょう(テクニカル・アナリストの立場から言えば、テクニカル・アナリストのほうがファンダメンタリストよりも不可知論者だということになりますが)。

●マルキールによるテクニカル分析批判

 しかし、本当にまったく不可知だというのなら、相場に参加する根拠は何なのでしょうか。そもそも、マルキールの言うバイ・アンド・ホールド戦略は、結果的には「上昇トレンド」を無批判に信じ、受け入れているということと同義です。
 マルキールによると、テクニカル分析の欠点は、タイミングが遅れること、信奉者が増えるにしたがって有効性が落ちること、早期のシグナル獲得のために不確実性が増していくことだといいます。
 多少のタイミングのずれは多少の得べかりし利益の減少をもたらすだけであり、予測が無効になるほど信奉者が増えることは考え難いし、テクニカル分析の教科書的にいえば、確認してから相場に参入するのが基本です。第一、彼の主張自体が、第一番目と三番目が矛盾しています。

<ファンダメンタル分析との関係>

 ファンダメンタル分析との関係についてはすでに述べたので詳しくは書きませんが、たとえば、ウィリアム・グロースは「テクニカル分析派は占い師」だといいます。グロースはテクニカル分析が科学的でないと言いたいのでしょうが、マーケットはそもそもサイエンスの部分ばかりではないのですし、そういう表現をするなら、ファンダメンタル分析も同じでしょう。

<相場は収益を上げることが目的>

 テクニカル・アナリストのジョン・マーフィーは、トレンドが認識できないことがトレンドが存在しない証明にはならないと、と述べています。トレンドという言葉の存在自体は否定できないでしょう。
 また、チャートが読めるということは、訓練された医師が心電図の動きを見て情報を得ることができるのと同じこと、ともいいます。
 認知というと話が難しくなるのですが、ある人の顔が有名人に似ているとか似ていないとかいう話題になることがあるでしょう。そのときに同意できたりできなかったりしますが、似ていると認知しやすい人とそうでない人がいます。似ていると認知するということは似ている要素を抽出して小さな差異には目を瞑って概念として認識しているということです。色は違うが形は似ているとか、音の長さは違うけれども高さは同じだとか、いわば、ファジーに認識しているということです。似顔絵やデフォルメされた造形がイメージをわかせるのです。人類が言葉を持つようになったのは、それができる動物だったからです。
 心電図を見て、寸分たがわず同じ波形でなければ同じだ(似ている)と認識できないのであれば、疾患は発見できないでしょう。
 もちろん、このグラフは、大恐慌時の株価のグラフに非常によく似ているからといって、将来も同じになるとは限らないのは当然ですが、形が似ていることに意味がある可能性は否定できないでしょう。
 狭義の合理主義は、本来、生きているものから、活きた要素を取り除いていくものなのです。繰り返しになりますが、相場で重要なことは、理由づけではなく、いつ、どれだけ動くのかということです。
 経済学者には「どうあるべきか」が重要であっても、市場参加者には「どうなっているか」「どうなるか」そして「どうするか」が重要なのです。科学的な因果関係追求が不必要とはいいませんが、実際に相場に参加するという観点からいえば、もっと重要なことがあるように思えます。
 つまるところ、ファンダメンタル分析でもテクニカル分析でも何でもよいのです。予測が正鵠を射たものであれば。相場は理解することが目的なのではありません。そこから収益を上げることが目的なのです。

●分析・予測の目的は?

                         

                            ~最終回(「7 テクニカル分析の特徴」)へ続く~


「プロローグ テクニカル分析への招待」
vol.1
1 テクニカル分析への入り口-相場の変動要因はいろいろある
2 テクニカル分析と微分の話-テクニカル分析は理由探しをやめること
vol.2
3 テクニカル分析とチャートの関係は?-チャートはテクニカル分析のスタートライン
vol.3
4 説明できないものを大切にしよう-テクニカル分析は非合理な発想も含む
vol.4
5 テクニカル分析vs.ファンダメンタル分析-対峙するのか、同源なのか
vol.5
6 アンチ・チャート論について考えてみよう-テクニカル分析に対する偏見・誤解に答える
vol.6
7 テクニカル分析の特徴-重要な特徴が二つある

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