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リスク認識とリスク管理

2007年8月1日
立正大学経済学部 教授 林 康史

 ここ数日、翻訳の仕事にかかりっきりだった。現在、ジェームズ・ラムの“Enterprise Risk Management: From Incentives to Controls”を訳出している。
 近時、企業を取り巻く環境の変化は目を瞠らせるものがあるが、それに伴って企業におけるリスク管理のあり方も大きく変貌を遂げた。
 リスク管理に従事する者の社内の地位も変化したし、業務自体も変化した。例えば、経営法務について言えば、従来は、法務部が一括して担当してきたが、そこから分化して組織作りがなされてきたコンプライアンス部が業務範囲を拡大してきた。事後から事前への意識のシフト、あるいは予防的法務の視点の重視が起こったのである。
 それとほぼ歩調を合わせるかのように、リスク管理も後ろ向きなものから前広なものへと変わってきた。かつてはモデルや分析を行っているだけの仕事から、業績測定や企業戦略といった経営そのものにも業務範囲が広がってきている。それがERM(Enterprise Rirk Management)という概念が生まれてきた背景であり、また、ERMがそうした社会環境に変化を及ぼしてきたのである。
 ERMは、統合リスク管理とか全社的リスク管理と訳されることが多いようだが、どう訳そうかと悩んでいるところだ。

 この本は、信用リスク、市場リスク、オペレーショナル・リスクの基礎的な管理手法について、最新の理論的展開を含め要領よくまとめられている。また、エコノミック・キャピタル、リスクリミット等のリスク管理に係わる基本的諸概念についてもわかりやすく説明されている。しかも、読者が内容に関心を持つように、リスク管理についての実例や興味深い話が、成功例・失敗例ともに具体的かつ注意を引く形で引かれてあり、飽きさせないものとなっている。
 私たちの周りでも、組織化個人化を問わず、リスク管理に対する関心は非常に高いと思われるが、一般、あるいは初学者にとって、近づき難い感じを与えるものでもあった。この本は、そうした印象を払拭するものとなっている。本来は、最初から最後までを通して読むべきなのであろうが、大部さに躊躇する人は、まず面白い話や興味深い部分だけでも拾い読みすることを勧めたい。自らが身を置く業界のリスク管理の動向などは、その業界に属する人全員にとって大いに参考となるはずである。

 私自身も、『生命保険会社の金融リスク管理戦略』(小川英治監修。東洋経済新報社。中国語訳『寿険公司 金融風険管理戦略』も中国金融出版社から出ている)のなかの「金融リスクと巨額損失事例」で取り上げたことがあるが、メタル・ゲゼルシャフト社の例のところを引用してみよう。

メタル・ゲゼルシャフト社の溶解
 1990年代の最も著名な金融破綻の1つは、メタル・ゲゼルシャフト・リファイニング・アンド・マーケティング社(以下、MGRM社)が原油取引で被った巨額損失であった。MGRM社は、国際的な貿易・工業・薬品化学工業のコングロマリットであったメタル・ゲゼルシャフト(以下、MG社)の米国子会社である。
 1992年、MGRM社は、明らかに利益の上がるマーケティング戦略を実行した。同社は、当時の市場価格以上の合意価格で、最高10年まで毎月、一定量の石油商品を販売することに合意していた。同社は、長期的な責務をヘッジするために、連続して短期の石油先物を購入する「スタック」ヘッジ戦略を利用していた。石油価格が下落すれば先物のポジションでは損失が出るが、固定レートのポジションでは価値が増加するという前提であった。一方で、石油価格が上昇すれば、先物での利益が、固定レートポジションの損失を相殺することになる。
 この巧妙な解決法は、ひどい欠陥があることが判明した。MGRM社の戦略では、同社は、毎月予め定めた高い価格で原油を売却できるので、石油価格が低下すれば長期にわたり利益をあげることができるはずであった。しかしながら、証拠金請求が来るので、同社は、すぐに石油先物の損失に晒されることになる。さらに、長期的な先渡契約と短期的な石油先物との間には安定的関係は存在せず、これが同社にとってもう1つの大きなリスクとなった。したがって、実際に、石油価格が下落したときに、同社は流動性危機に瀕し、最終的には、親会社へと至る財務上の危機に直面した。1993年12月には、MG社はMGRM社を救済し、その取引ポジションを清算せざるを得なくなり、それは全額で10億ドル以上の損失に達した。
 以来、MG社は正しいことをしたのかどうかについて学者たちは論争してきた。ノーベル経済学賞受賞のマートン・ミラーやその同僚であるクリストファー・カルプのような理論家は、もしMG社が我慢していれば、長期的には石油販売の利益で先物の損失を埋め合わせ、利益を上げることができただろうと主張する。その他の学者たちは、同社が実際にそうできなかったのであれば、このような考えは見当外れであると指摘する。あるいは、長期的な潜在的利益の額に疑問を持つ者もいる。MG社の株主の委託を受けた監査役の報告書によれば、5900万バレルに相当する長期契約の価値は、およそ1200万ドルの赤字であり、その結果、これら契約の価値では、長期的にさえ損失を相殺できなかったということである。
 MG社のエピソードは、長期的には収益性のあるポジションが、短期的には企業を経営破綻に追いやる「ファンディング・リスク(訳注。流動性リスクの一種)」と呼べる概念を例証している。これは、「キャッシュ(現金)」と「フロー(出入り)」の双方を強調した、キャッシュ・フロー・アウトとキャッシュ・フロー・インのミスマッチにより生じるリスクである。戦略がもたらす利益は「どのくらいの金額」になるかのみを考えるだけでは十分といえない。リスク管理者は、「いつ」お金が入ってくるかについても考慮しなければならない。

 メタル・ゲゼルシャフト社の例は親会社と子会社の経営陣の意見対立で合ったりするのだが、それはそれとして、私がここでメタル・ゲゼルシャフト社の例を引用したのは意味がある。
 実は、自分の恥をさらすことでもあるのだが、先日、1日だけ資金が必要になり、外国為替取引の証拠金を引き出したことがあった。翌日、すぐに送金して元に戻したつもりだったのだが、うまくいかなかった。不運にも、その日の海外マーケットは大荒れで、送金が間に合わず、わずかの差で、自動的に損切りさせられてしまったのである。もちろん、かなり悔しかった。その日以外であれば、何事もなかったはずである。
 しかし、メタル・ゲゼルシャフト社の例でもわかるように、「実際にそうできなかったのであれば、このような考えは見当外れ」なのである。
 私は不運だったのではない。やってはいけないミスを犯したのだ。

 ちょうど、翻訳の作業をしていたときのことで、これなど、オペレーショナル・リスク「以前」であると、改めて思い知らされた。

 まだ、作業の途中だが、ぜひ、読んでほしい本だ。

 ぜひ読んでほしいといえば、このホームページの読者はご存知だろうが、『基礎から学ぶ 外国為替相場』(日経BP社)が出版された。これもぜひ読んでいただきたいと思う。

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2007年08月02日 08:54に投稿されたエントリーのページです。

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