10月25日
板垣哲史
実際にトレードをするにあたり、最も基本として重視するのはチャートである。チャートは過去の値動きの推移を見るだけでなく、トレードをするための判断材料の多くを提供してくれる。相場分析の手法としてはファンダメンタルズ分析とテクニカル分析に大別されるが、決してファンダメンタルズ分析が重要ではないとはいえないものの、プロのトレーダーのように日々トレーディングに携わっている人ほどチャートを活用したテクニカル分析を重用する。
なぜなら、チャートにはマーケットの「心理」そのものが表れているからであり、その心理を如何に推論するかが勝利へのカギを握るからだ。チャートを見るということは、いわばマーケットの心理状態を把握することにほかならない。かつての時代からチャート(罫線)を見ている人もいたとはいえ、多くの相場師と呼ばれる人たちは自分の記憶力に基づいて、あの時はどう動いたから今回もおそらく同じパターンが当てはまるだろうといった姿勢で臨むことが多かった。なぜなら当時はさほど正確な公表データが存在せず、いわば自らの経験則に基づいて自分のポジションを建てていたからだ。近年になり、チャートを用いたテクニカル分析が発達してくるにつれて、チャートを活用したトレーディング手法が主流となっている。パソコンが一般的に普及したことで、単にロウソク足で値動きだけを追ったチャートだけでなく、指数の計算がトレンド系だけでなくその算出方法がより複雑なオシレーター系まで難なくできるようになったことで、よけいにそうした風潮が一般的になっているのが現状だ。
もっとも、自らの経験則と信念や“直感”だけを頼りにするトレーディング手法が全く見られなくなったというわけではない。実際にはチャート分析を基にしつつも、自らがこれまで経験として築いてきた“技術”をも活かした手法でトレーディングの判断材料にしている人たちも少なくない。例えば個人的には、「ダブル・トップ(ボトム)」はあっても「トリプル・トップ(ボトム)」はないというのがこれまでの経験則から得た信念としてもっている。つまり、相場が天井を打つ時には(底入れする時も同じだが)、1回天井を打った後にいったん下押してもう一度上昇した時に、前回の高値付近で止まり、その後の下げで以前の押し目の水準を下回ってしまうと「ダブル・トップ(ボトム)」を形成することになり、そこで天井打ち(底入れ)が確認されることになる。ところが、2回目の下押し局面で前回の押し目を下回らずにまた上昇してしまうと、これまでの個人的な経験則ではそこはあくまでも中段の保合いに過ぎず、天井を打たないで過去2回の高値を超えてさらに上昇していくことが多いと信じている。これは、個人的にこれまで培ってきた経験則からいえることである。
そもそも、チャート分析とは過去の動きの法則から未来を占うことであり、いわば“昔風”の相場師が自らの経験則に基づいてトレーディングを行っていたものの延長戦上にあるともいえるが、その未来の様相というのは過去の動きに必ず投影されていることが前提となっている。いわゆる「歴史は繰り返す」という諺があるが、それを相場分析にも適用しているに過ぎない。マクロ経済分析における景気循環理論と同じことであり、それを戦後、1960年代までの数理経済学が全盛だった米系ケインズ経済学者からはそうした理論は非科学的だとして論駁されているのは、どうしても循環的に繰り返す法則のようなものを科学的に証明するのが困難だからである。そうした景気循環理論を実際にトレーディングに応用したのがエリオットの波動理論であり、「宇宙の法則」などと“神秘的”な言葉が使われつつも、その本質は過去の動きを絶対的な法則としてその決められたパターンに従って未来の値動きを予測するものに過ぎない。ただ、これから起こるであろう動きが過去の動きからそれなりの影響を受けるのは事実だとしても、完全に過去の動きをそのまま踏襲するわけではないことは“自明の理”である。そこにテクニカル分析の限界があり、それだけに頼っていては危険であるのはいうまでもないことだ。
このため、ファンダメンタルズ分析を完全に無視するわけにはいかないのである。ある程度は過去の動きから導き得た法則に従ってこれからも動くとしても、そこには過去と現在の環境、そして将来待ち受けている環境とでは異なっていたり、また異なることが見込まれる場合、過去の法則通りに動くとは限らないからだ。このため、その時々の経済・金融状況やそれに影響を及ぼす国際政治情勢を正確に認識し、それに相場がどのような影響を受けるかを分析しなければならないわけである。ただファンダメンタルズ分析で難しいのは、入手する情報に振り回されるのではなく、その情報が現時点でマーケットにどの程度浸透しているかを判断するのが難しいことだ。例えば為替のマーケットでは毎月最初の金曜日に発表される前月分の米国の雇用統計の内容が注目されることが多いが、同国の雇用環境が悪化しており、今度発表されるその指標も悪くなっていると多くのマーケット参加者が思えば、発表されるまでにそれだけ強いドル売り圧力が出ているはずである。実際に発表された数値が予想されている以上にさらに悪化していないとすでに織り込まれており、それ以上はドル安が進まないものだ。
このことは人間と同じ哺乳類であるにもかかわらず獣のような動物には見られないものであり、いわば、最高の高等動物である人間の“天性”とでもいうべきものだ。例えばアフリカで“百獣の王”と称されるライオンの行動を見ていると、獲物を捕獲してしまうと満腹するまで貪り、のんびりと昼寝をしていることが多いという。そうなるとインパラやシマウマ、ガゼルといった通常、ライオンが捕獲するような獲物が傍を通っても見向きもすることがない。どうしてこうした行動をとるかというと、ライオンには未来に備えるという概念がないからだ。
ところが、人間はそうではない。まず現在が幸福なのかそうでないのか、満足なのか不満足なのかを常に考えており、そうした現状認識を行ううえでさらに余裕があれば未来に備えようとして思考を張り巡らすため、前もって事態を予測し、先んじて行動する習性がある。マーケットに参加してトレーディングを行っている人たちも皆このような思考の人間であるため、参加者すべての人がそうした行動をとるからだ。しかも、人間には欲深いというもうひとつの特性があるため、先回りした行動をとるだけでなく、それが過熱してしまうと多くの人が理性的な判断ができなくなって“妄信”をしてしまい、“行き過ぎ”という現象が往々にして見られるものだ。いわゆる「オーバーシュート」と呼ばれる現象が必ず起こるものであり、買うべき事実が出てくると思われる時にはそれを織り込む形で買われていき、さらに必要以上に上昇してしまうことが多い。その最たるものが“バブル”と呼ばれる現象である。
このバブルが生じる人間の群集心理とは、多くの人に心理学でいうところの「順応的態度」が備わっていることから起こる。私たちは付き合いのある人、仲の良い友人や知人から影響を受けているものであり、それにより同じような考え方や行動をとる傾向がある。周りの友人から「この食べ物はおいしい」「あの女優は綺麗だ」といわれると、それが少人数であれば自分がもとより抱いていた考えが押し流されてしまわずにすむかもしれないが、多くの友人や知人に言われてしまうと「どうもそうなのかな‥‥」と思ってしまうものだ。アイドル歌手が爆発的な人気を獲得するのはこのためであり、その他多くの“ブーム”と呼ばれる現象もこうして起こるものである。相場の世界でも同じことであり、アナリストといわれるような人でさえ、仲間内で意見交換をしたり、お互いに執筆したリポートや経済・金融雑誌を読み合うため、同じような見解に集約されていく傾向がある。極端に強気派や弱気派で自らの地位を確立しているような人ならともかく、標準的なエコノミストの景気見通しや成長率見通しがあまり大差のないものとなるのもこのためである。このため、相場の世界でもマーケットが強気な環境に包まれている時には、アナリストのリポートやコメントも上昇期待の強いものとなりやすい。しかし、そうした強気な環境に包まれている時というのは、すでに相場にはそうした上がる材料を織り込んで上がりきっていることが多いのである。にもかかわらず、多くの人たちが理性的な判断ができずにさらに“狂乱”状態となるとバブル化してしまうわけだ。
人間にはそうした習性があるために事実が出てくるまでにすでに相場には織り込まれているものであることから、もしバブル化するまで狂乱状態にならなければ、実際にそうした事実が出てくると上がるのではなく、逆に下がってしまうケースがよくあるものだ。相場の世界でよくいわれる「噂で買って事実で売る」といった格言はこれを見事に言い表している。相場の場況の文章を見ていると「材料出尽くし」といった言葉がよく使われているのもこうした現象を表したものだ。
このように相場がオーバーシュートのような状態にある場合、上昇局面で過熱した状態にある時に買い足したり、下降局面で売り込んでしまうと“因果玉”を抱えることになってしまう。そうした相場が過熱した状態にある時には、周辺でトレーディングをしている人たちと逆の行動をしなければならないわけだ。相場の格言に「人の行く裏に道あり花の山」というものがある通りである。相場巧者と呼ばれる人は上昇局面では、ある程度の買いポジションを“種玉”として維持しながら、少玉押し目買いと利食い売りを繰り返しながらかなりの利益を手にしているものだが、そうした過熱状態にあるのを察知すれば、多くの人たち――それも通常はトレーディングに参加してこないような人たちが買い付いてくるのを横目に、すばやく種玉の買いポジションを利食っているはずである。
ファンダメンタルズで与えられた材料についても、例えば米国の貿易赤字が史上最高になったといっても、よく考えればそれは2ヵ月前の話に過ぎない。少なくとも、現在起こっていることではないわけだ。もっとも、貿易収支というのはその流れができると数年単位で続くものであるため、発表後には相場が割と“素直”な動きをすることが多いが、景気指標にはそうした動きをしないことが多いことはよく押さえておく必要があるだろう。
このため、実際にトレーディングを行う上である情報を入手した場合、その情報がマーケットにどの程度浸透しているかということを、直近のチャートの形状からよく分析し、的確に判断しなければならない。重要な景気指標というのは金曜日に発表されることが多いが、発表日が近づくにつれてその前週にはメディア機関から各アナリストやエコノミストの予想数値が事前に出ているため、マーケットは発表以前にそれを織り込んで動いている。前述したように標準的なアナリストやエコノミストの予想数値もおおむね同じレベルに集約される傾向があるだけに、よけいにマーケットにはそれが織り込まれやすくなる。そして発表される週にさしかかった段階で、それまで伝えられていた予測数値よりもさらに悪い内容となるのではないかといった思惑が強まると当然のことながら相場は下がりやすくなるが、発表日の前日の木曜日頃にはすでに売りポジションを持っていたトレーダーは利食いの買い戻しに入っているものであるため、発表直前までにやや戻していることが多いものだ。そして実際に金曜日に発表されてみると、それが本当に悪い内容であれば瞬間的に売り込まれるがそれで売り圧力は出し尽くしてしまい、それからは買われやすくなるものだ。実際の相場の動きは必ずしも以上述べてきたように動くわけではないが、マーケット心理というのは常に先のことを予測しながらそれを織り込んで動き、実際にそうした材料が出た場合にはよほど事前予想とは異なる“サプライズ”な内容でない限り、それほど目立った大きな動きをしないものである。
相場に携わるうえでもうひとつ心掛けなければならないのは、実際にトレーディングに入るうえで、どうも今日もまた損失を出しそうだとか、あるいは損してもかまわないといった心構えで臨むよりも、今日もどうにかしていい結果をもたらすといった気構えで入るのとでは結果が往々にして異なることだ。一般的にいえば、「金持ちになりたい」と思っている人の方がその目標や欲望に向かってそれなりの行動をとるため、そうでない人より金持ちになる確率が高いはずであるのはいうまでもない。どうしても、それを望まないで行動してそれが実現してしまうと意外感から「儲かった」といった意識が出てくるのに対し、望んで行動したにもかかわらず目的を達成できないと失望感が強まるだけなので、人間の心理としてはなかなかそうしたことが意識されにくい。しかし、そうしたことが現実に起こったとしても所詮は偶然の産物に過ぎず、実現する確率は極めて低いはずだ。本来的にそれを望んで行動した方がその通りの結果を得られやすいことが自明の理であることは論を待たないであろう。
トレーダーとしての考え方の基本でいえば、トレーディングを行うことで自身が豊かになっていくといったイメージを抱きながら向上心を持っていなければならない。W.S.クラーク博士の「少年よ、大志を抱け!」という有名な言葉を想起するまでもなく、「目標は大きいほど良い」とよくいわれる所以である。とはいえ、実際には、そうしたことは簡単なようで難しいものだ。なぜなら、「私は大金持ちになるんだ」といった言い方をすると、自分自身の潜在意識のなかではどうしても「なれるわけない」といったものがくすぶってしまい顕在意識と潜在意識の不一致が生まれるため心の底に落としきれないからだ。
ある講演会で会場に向かって「お金持ちになりたいと思っている人がいるか」と聞いたらほとんどの人が手を挙げたものだが、では「日本でも有数の巨万の富を得るような大金持ちになりたいか」と聞くとほんの数名程度しか挙手しなかったものだ。あまりに現実とかけ離れたような、いわば“理想”からさらにそれを越えて“夢”のような非現実的なことを目標に掲げてしまうと、どうしても自身の心のなかに内在しているマイナス志向によって押し潰されてしまうのである。
そこで「自分は金持ちになるために生まれたんだ」「自分は成功するために生まれたんだ」と自分に言い聞かせると、潜在意識のなかの否定的な感情とミスマッチが生じないですむことになる可能性が出てくる。それこそ“大法螺吹き”になるつもりでつねにそうしたことを言い聞かせるようにすることでイメージ・トレーニングをするわけである。そうすることでつねにプラス思考を抱けるようにすることこそが、相場に携わるうえでの基本的な考え方とでもいうべきものだ。つねに毎日そうしたことを50回でも100回でも“おまじない”のように唱えていることこそが成功に通じる“哲学”なのである。
ところで、これまではトレーディングをしていくにあたり、その心構えを中心に述べてきたが、次に実際にトレーディングをしている際に陥りやすい精神的呪縛について見ていくことにしたい。むしろ、この呪縛は相場で成功するんだといった気構えが強ければ強いほど謙虚さが欠けるために陥りやすいものであるといえるため、つねにそうした誤謬に惑わされないようによく注意しておく必要があるものだ。
ここで問題となるのは心理学における「認知的不協和」という理論である。この理論は、人間には自分が犯した行為が現実の世界に適合しなくなった際に、その行為を自身に都合良くプラス思考で解釈することで、現実の世界で実際に起こったことを正確に認識できなくなってしまう状態に陥ることを指したものである。
この理論の説明として最もわかりやすい例として「吊り橋の法則」というものがある。ある美人の女性が、好きでも嫌いでもない男性と二人で断崖絶壁に架けられた細い小さな吊り橋を渡らなければならなくなったとしよう。吊り橋の下は深い谷となっており、“大の男”でも渡るにはいくらかは足がすくんでしまい、冷や汗をかかずにはおかないものだ。そうした吊り橋に、たまたま二人だけで足を踏み入れたのだが、中央付近にさしかかったところで強風が吹いて橋がかなり揺れてしまったとしよう。その際、その女性は恐怖心から傍にいた好きでも嫌いでもない男性に思わずしがみついてしまったとしよう。そうすると、女性の心のなかに「不協和」という心理状態が生み出されてしまうのである。好きでもないという心理と、しがみついたという自らがおかした行動に対する恥ずかしい心理状態の狭間で“葛藤”が生じるのである。
彼女としては、心のなかの葛藤を何とかして打ち消したいのだが、時間を引き戻すことなどできるわけがないのだから、どうしても現実に起こったことを変えるわけにはいかないのはいうまでもない。そこでどうするかというと、彼女は自らの“心の持ち方”を変えることで「協和」を果たし、それにより心の葛藤を打ち消そうとするわけである。すなわち、その男性を好きになることで、自らがその男性にしがみついたという行為を正当化してプラス思考に切り替えるわけである。これにより、その男性は他の多くの男性にとって“渇望の的”だった人気者の女性を自分に気をひくような状態にするチャンスを得たのである。スリリングな遊園地の施設の人気の秘密はここにある。
このように、自分のとった行動やとらざるを得なかった行動に対して、その結果、自分自身の心のなかに不快な感情や損をしたといった気持ち、割に合わない感情が残ることに対して、人間はその起きたこと自体をプラスに解釈することで心の協和を図ろうとする習性がある。人間の行動のなかにはつねに日常的にそうした心理状態が働いているという事実をトレーダーの人たちはよく認識する必要がある。学問的に定義付けをすれば、さまざまな対象に対して人間が持っている知識や信念、意見というものを心理学では「認知的要素」と呼ぶが、自分自身を取り巻く環境を含めた自分自身に対する認知的要素と自分のとった行動との間に矛盾や対立があった場合、その状況を「認知的不協和の状態」という。そうした状況に陥った場合、人間というのは極めて不快な緊張をもたらすため、何とか不協和に陥っている心の状態を解消させ、心のなかに矛盾や対立のない状態を回復しようとするために、新たな理由を考え出さざるを得ないというのがこの認知的不協和理論の基本的な考え方である。
相場に携わっているトレーダーは、自分自身が相場に関わったと同時に、自分自身に今述べたような心理的変化が起きるリスクを常に抱えている。この認知的不協和理論というものを実際に一言でいえば「認知的不協和低減の法則」が働くということだ。不快な事態が起きた時に、人間の心理はそれを何とか減らしていき、一致させるように努力するということを自動的に行っていく性質がある。この法則があるということが相場に携わる人間にどのような意味があるかというと、自分がとる行動というのは、例えば相場に買いポジションで臨む場合、本人が自分なりにあらゆる情報を分析した結果、その対象物が上がると思ったから買うのであり、思惑通り相場が上がれば心のなかは快い状態となるために認知的不協和は起こさなくてすむ。ところが、あらゆる情報を分析した結果、上がると思って買った途端に相場が下がってしまうと、誰もが不愉快な心理状態になってしまう。すなわち、自分がとった行為と現実の結果との間に強い不協和を引き起こすわけだ。この不協和は相場が上がればいうまでもなく解消するが、さらに下がっていくとますます増大していくことになる。
その時、人間の心理としてはどうにかしてこの状態を協和させようとしていくことになる。そのひとつが、今後の行方を占うために情報分析をしていった時に、上がる要素と下がる要素のなかで、自分のポジションに有利な上がる要素についての情報が頭のなかで強く意識されてしまい、下がるという情報は抹殺される傾向が出てくる。本来、現実的に相場が下がったということはそれなりに原因があるはずなのだが、その原因よりも今後また相場が上がり直すであろうという要因を情報のなかに必死に見つけようとするわけである。すなわち、自分の相場観に主観的な“色”が付いてしまっているわけだ。そのため、認知的不協和という状態が自身の心のなかに働いているという事実を認識していないと、ますます頭のなかの情報処理が歪んだものになっていくことになる。こうしたことから、アナリストや評論家として相場を見ている人たちも、またすでに相場のなかに入ってポジションを持っている投資家の心理でも、すべての情報が不協和になり得る要素があるということだ。
相場の世界では「曲がり屋に向かえ」という“格言”がある。実際にトレーディングをしている人たちだけでなく、講演会や執筆活動を盛んに行っているアナリストや評論家でさえ、あまり当たらない人たちが散見されるものだ――それで商売が成り立っているからたいしたものだが。それも面白いのは、実際に相場に取り組んだ経験がなく、机上の経済理論や取材活動による情報収集から分析している金融アナリストだけでなく、ディーラーを長年経験したうえでその後アナリストに転身しているような人にもそうした傾向が見受けられることだ。こうした人たちのなかでもとくに有名な人は、プロのディーラーや玄人系の投資家の間では“逆指標”にされているケースも珍しくない――「この人の言っていることはおおむね8~9割がたはずれるから、言っていることと逆のポジションをとれば8~9割当たるだろう」といった具合である。実際、よくはずれる人たちは面白いように曲がってくれるものであり、そうした人たちを逆指標にして相場に取り組むと良い結果が得られるといった話をよく聞く。ある意味では、こうした人たちは一部のトレーダーや投資家の間では、ファンダメンタルズ分析やテクニカル分析よりも“貴重”な存在となっているのだという。
どうしてこうした“曲がり屋”と呼ばれるような人たちが出てくるのかというと、自分の予想がはずれてしまうと自身の心の中で認知的不協和を引き起こしてしまい、自分に都合の良いことをやたらに強調し、それに基づいて現実の世界を解釈してしまうからだ。しかもさらに悪いことに、人間には自分たちの行動や態度を肯定し、それが正しかったことを確認してくれるような情報だけを受け入れようと試みる傾向がある。心理学では「選択的受容」と呼んでいる現象であり、自身に都合が悪くなると不快な現実から逃れるためにこうした習性が顕在化する傾向があるだけになおさらだ。そうした呪縛から逃れられない限り、こうした人たちははずし続けてしまうのである。実際にポジションを持っている人はもとより、アナリストや評論家のような人たちは自身の主張や理論で自分を“売って”人気を博しているところがあるため、なかなか現実の動きに対して柔軟に対処することができないようだ。日本は巨額な公的債務残高を背景に財政破綻状態にあることから「大円安時代が来る」などと衝撃的なことを主張することで注目を集め、人気を博していただけに、米国の財政収支と経常収支の「双子の赤字」や国家全体の膨大な累積債務残高からドル安になる状況を正確に予測できなかったのはこのためだ。こうした人たちはドル安になっているという現実を自身に都合の良いように解釈して講演会で説明するため、多くの聴講者はそれに感嘆してその気になってしまうものだ。認知的不協和の状態というのは、“カリスマ的”な人気を博している人の心のなかにそれが起こると、多くの人たちにそれを撒き散らすために実に厄介な状況になってしまうのである。
こうした法則があるということを十分に認識したうえで最悪の状況に陥るのを避けるためには、もし自分がトレーディングをしたとして、例えば10%ほどアゲンストの方向に相場が動いたら損切りをするということを、自分がポジションを持つ前に決めておくことが大切なことだ。とくに人間には自分が間違いを犯したことを確認する行為を回避しようと努める習性があるだけになおさらだ。このため、例えば前述した「順応的態度」の心理が働いて周りの過熱した雰囲気に押し流されて天井圏で買い付いてしまい、その後相場が下がって手仕舞えば損失を被るような状況に置かれてしまうと、買ったレベルまで反発してくるのを待って手仕舞おうと考えるものだ。しかし、実際には反発してもわずかに戻る程度でまた下げていってしまうものであり、結局、買いポジションを手仕舞えないで巨額な損失を被ってしまうケースがよくあるものだ。このように、どうしてもすでにポジションを持っている状態の下ではすべての情報があらゆる人に対して不協和低減の法則にはまり込んでしまいかねず、なかなか客観的、合理的な判断ができにくくなってしまうわけである。そこでこうした認知的不協和の状態に陥り、巨額な損失を抱え込むことを避けるためには「ストップ・ロス理論」を正確に実行することが必要である。そうすることで、人間が心理的に合理的な判断が働かなくなってしまう状態に陥るのに歯止めをかけることができるからだ。
ただ、そこで留意しなければならないのは、実際にトレーディングをするに当たり、ストップ・ロスを導入したことで、小さく儲けて大きな損失を出すことで失敗するケースが非常に多いことだ。ストップ・ロスをどのように置けばいいのかというと、自身がある一定の将来時点でどのような相場観をもっているかでその水準を変えないといけない。例えば、これから3ヵ月間を展望するなら、ファンダメンタルズ、テクニカル両面での分析から売りという判断を下した場合、ある一定のレベルを超えて上がってくるとその相場観を変えざるを得なくなる。根本的に自分の相場観が間違っていた時に致命的な損失を出さないためにあるのがストップ・ロスなのであり、日々の動きでストップ・ロスを置いてしまうとかえって小さく儲けて大きな損失を出すということになりかねない。いわば、こうした状態は損失を出して身動きがとれなくなっているトレーダーによく見られる現象である。
例えば、買いポジションを持っていたとして、下がった時にそのポジションを投げるレベルをストップ・ロスを置くことで設定したとする。ところが、デイ・トレーダーが行っているトレーディングのように、あまりに短期的な売買を繰り返すトレーディングにおいてそうしたものを設定してしまうと、相場がわずかでも下がったことでそのレベルを下回ってしまい、買いポジションを手仕舞って売りポジションを建ててしまうと、それから切り返して急上昇していくといったことが往々にして見られる。このため、ストップ・ロスを置くのであれば、あくまでも相応の期間を対象としたそれなりの値動きの余裕があるトレーディングを対象として、チャート面であるレベルを超えるとトレンドが転換するという地点をしっかり認識し、そこにストップ・ロスを置くことだ。ちなみに、個人的な経験でいえば、ストップ・ロスを置くことで、そのレベルを超えて相場が逆方向に向かった場合には「倍返し」を狙い、途転したポジションをとった方が効果的である。
そもそも、ストップ・ロスという言葉はかなり一般的に広まっているが、実際にはそれがどのようなものかを正確に認識しないで使われていることが多いようだ。本来、ストップ・ロスをどうして置くのかといえば、手仕舞うと損失を出す場合にここまでならそれほどダメージが大きくないが、これ以上損失が膨らんでしまうと大きくなるから手仕舞うレベルをあらかじめ決めておくためにすることだ。そうしたなかで、個々の個性や自身の考え方、どの程度までなら損失に耐えられるかという“懐具合”によって、ストップ・ロスを設定するレベルというのは千差万別になるはずだ。ただ、それはあくまでもデイ・トレーダーのようなごく短期間で狭いレンジ内で頻繁に売買を繰り返し、逆張りの“小すくい”のようなトレーディングでこうした手法を用いてしまうとわずかな利益しか挙げられなくなる可能性が高いということだ。デイ・トレーダーやプロのディーラーを除くと、基本的なトレーディングの仕方というのは原則的にトレンドに乗ったポジションをとりながら、例えば上昇トレンドに乗るのであればある程度の買いポジションを維持したままで、押し目でそれ以上に買い乗せ、ある程度上昇した段階で乗せた分を利食っていくといった動きを、そのトレンドが続いている限り繰り返すことだ。そのうえで、そのトレンドがこのまま続いていくことを前提にトレーディングをしていくべきなのか、それともトレンドが転換したのかを判断するための重要なレベルを見定めるためにストップ・ロスを置くことだ。それにより、例えばこれまで上昇トレンドで推移していたのがストップ・ロスとして設定しておいたレベルを下回ってきたことで、今度は下降トレンドに転換したことを前提にトレーディングを行っていくという方針転換が的確にできることになるからだ。
あるいは、ある程度の期間を対象とした相場でも値動きがなくなってしまい、完全な保合い相場が続くこともあるものだ。そうした状況においてはデイ・トレーダーに限らずに逆張りの小すくい戦術で臨むことが多いが、それでもそれを上放れたり下放れるとその方向に向けて明確なトレンドができることが多いため、そうしたトレンド相場に適応したトレーディング手法に切り替える目安として、ストップ・ロスを設定するのも有効だろう。明確なトレンドができているのにそれまでの逆張りのポジションを維持したままでいると巨額な損失を抱えることになってしまうからだ。






