2008年02月07日
立正大学経済学部 教授 林 康史
昨年末、貨幣博物館を訪れた。日本銀行金融研究所貨幣博物館は、ときどきゼミの学生らといっしょに見学することがある。現在、「貨幣誕生―和同開珎の時代とくらし―」という企画展を開催している(3月9日まで)。
今年は、和同開珎(わどうかいちん。「わどうかいほう」とする説もある)銀銭、銅銭が発行されて、ちょうど1300年目にあたる……とパンフにもあって、和同開珎がわが国最初の貨幣であるなら、「貨幣誕生=和同開珎」だが、しかし、これは変だろう。1998年の奈良・飛鳥池遺跡の発掘調査で、「富本銭(ふほんせん)」が7世紀後半に鋳造されていたことが明らかになっているし、それ以前にも無文銀銭(むもんぎんせん。定量の銀の地金)が発行されていたわけだから、この企画展のタイトルは、ミスリードさせるものだろう。なぜ、そんなタイトルにしたのか、単純に疑問だ。
それはさておき、この貨幣博物館見学は、学生たちにも結構、好評のようだ。
常設展も、物品貨幣の説明から始まり、時間を追って貨幣の歴史を眺めることができるようになっている。
現在の市場システムや社会は、貨幣の存在なくしては考えられない。というのも、貨幣がなければ、分業と交換が非常に困難となる。生産を上げるためには、生産のための時間を増やすか、時間当たりの生産の効率を上げるかしかないのだが、「餅は餅屋」というように専門家に任せて生産し、それを交換したほうが社会全体の生産が上がるのは当然だ。分業の前提は、生産された物の交換が可能だということにある。その役割は貨幣が果たす。貨幣博物館では、そういったことを考え、かつ体感できる。
日本が信託統治していた時代に運ばれたのだろう、ヤップ島のフェイ(石貨)なども展示されている。フェイの価値は大きさで決まるものではない。削り出してヤップ島まで運び込むまでの人々の苦労が、その価値に反映される。途中で船が嵐に遭遇して沈没し運搬していた人たちが亡くなったといういわれを持つフェイは価値があるし、アイルランドの船長オキーフが大儲けを狙って船で運んだフェイは価値がないとされた。そういった話を思い出すと、貨幣の持つ人類学的な意味にも思いをはせることができる。
実は、博物館や美術館は、行けるうちに行っておいたほうがよいようだ。というのも、博物館が所蔵するに至った経過が判然としないもの、例えば、盗品の疑いがあるものなどは次第に表立っては展示し難くなってきている。盗品とは言わないまでも、このフェイは、いつ、誰が日銀に持ってきたのかが少し気になる。かつて日比谷公園で野ざらしになっていたフェイがあったというが、それかもしれない。そうだとすれば、それは、誰が、どのような経緯でヤップから持ち出したのだろうか……。と考えていくと、いずれ展示場から消えて倉庫に保管される可能性が高いというのもわかろう。世界中で、植民地時代の宝物等々の返還問題が起こっていて、今後も起こる可能性は高い。したがって、博物館や美術館は、行けるうちに行っておいたほうがよいわけだ。
私が学生たちに意識的に見ておくようにというのは、陶貨だ。第二次世界大戦末期、敗戦を迎えつつある日本は金属が払拭し、硬貨を瀬戸物で試作する。そのまま終戦を迎えて、陶貨は実際に使われることはなかったが、財布に入れるには分厚いし、堅さはあるといっても金属ほどではないだろうから、財布のなかで割れてしまうこともあったろう。何よりも、そんな状態で戦争していたということ時代が驚きだ。戦争に勝てるとでも思っていたのだろうか。
世界の貨幣のサンプルも展示されている。また、印刷する前の1億円分の紙幣用の札束(?紙幣になる前だから、札束は変で、単なる「紙」というべきか……)も置いてあり、これは持ち上げて重さを実感できるようになっている。
丁寧に見学すると、1時間や2時間はあっという間に過ぎてしまう。
今回は、部局の引越しがあるとかで日銀の内部の見学はできなかったが、日銀の内部を見学することもできるようなので、一度、行かれることをお勧めする。
以上






