07月03日
立正大学経済学部 教授 林 康史
大学院の金融論特殊の授業で、『市場と取引―実務家のためのマーケット・マイクロストラクチャー』〈上・下〉(宇佐美洋 監訳、東洋経済新報社)を講読している。Larry Harris の本で、原著のタイトルは、“TRADING AND EXCHANGES”。サブタイトルは日本語と同じものだ。
帯には、
――従来の経済学では説明のつかないアノマリーの存在など、既存経済学の限界の超克を目指した「市場の微視的な構造」研究が80年代以降活発になった。「流動性」、「取引費用」、「情報を反映した価格」、「ボラティリティ」、「取引利益」をキーワードに、その全容に迫る――
とある。
実務家の視点からかかれており、いろいろと示唆的である。現在、大学院の修士1年に留学生3人を預かっているのだが、彼らの研究の基礎になるだろうと思って本書を選んだ。もともとMBAの授業を意識して欠かれたのだろう、各章末に「さらに考えてみるための質問」がついていて、なかなか面白い。
例えば、本書ではギャンブルも包括して目配せがなされていたり、指値は相手にオプションを与えているという指摘など、頭の中が整理できる。一般の投資家にもお勧めである。
さて、マーケットの構造とは、どのようなものなのだろうか。
私は、かねてから、マーケットでは、マーケット観がすこぶる大切だと考えてきた。マーケット観とは、相場観という意味ではなく、マーケットの構造や性質等々をどのように認識しているかと言うことである。
確か、エド・スイコォータだったか、マーケット参加者はマーケットから自らが欲しいものを持って帰る、という意味のことを述べている。つまり、儲けが欲しい人は儲けを、名誉が欲しい人は名誉を、損が欲しい人は損を、というわけだ。なかなか含蓄のある言葉だと思うが、その大本(おおもと)には、マーケット観の存在がある。
マーケットについては、ゼロサムと考えているか、ランダムウォークと考えているか、等々、さまざまな意見がある。自らがどういうマーケット観を持っているかで、運用スタイル等も規定される。
市場あるいは取引に対する規制も、そもそも論で言えば、どういうマーケット観を持っているかに左右される。マーケットの規制のあり方は、研究者や規制当局に、さまざまな意見の相違がある。それは実は、マーケット観の違いに由来すると考えられる。
もちろん、取引規制や取引システムが、その市場構造を決定すると考えられるのではあるが、規制やシステムは、マーケット観の相違によって、違ったものとなる。いわば、相互依存的である。
先日、大学の研究会で、ドイツ文学の先生に、興味深いことを教わった。
ドイツ初期ロマン派の代表的詩人であり、哲学者であったノバーリス(Novalis 1772‐1801)が、自然という概念があるのではなく、「自然観」が存在しているにすぎないと述べているという。
たまたま、ネイチャー・ライティングの研究で、ワーズワースの研究の発表を聞いたのだが、自然というものが、人それぞれ、概念が違っていて、どうも各人が違う概念のものについて話をしているのではないかという私の感想に対しての発言だった。
まったくの門外漢で、また、まだちゃんと教わったり調べたりはしていないのだけれど、これは私が考えている、マーケットとマーケット観の関係と類似していないか、と考えた次第だ。
マーケットとはどういうものか――なかなか答えが出せない。
これは、投資家個々人が考えるべき問題でもある。
以上
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林先生が、『カクテルパーティーの経済学』に続けて、翻訳書『ジム・ロジャーズ 中国の時代』(林康史・望月衛 訳、日本経済新聞出版社)を出版されました
日本では、ジム・ロジャーズの第5弾ということになります。ジム自身の投資について、中国とその経済についての考え方が書かれていて、個別銘柄にも言及してあり、これもジムの投資理論を知る、基本文献。弊社の社員も何人かがお手伝いしていて(原著は当然英語で、社名や人名等は中国語表記しなければならず、それも簡体字であれば、日本人にとっては読みにくいものとなるでしょうし、翻訳は、いつにも増して、なかなか大変な作業だったようです)、謝辞に名前が出てきます。
出て1~2週間で、3刷まで決定したということで、各書店では在庫が払拭しているという状況が続いたそうです。
夏休みの読書として、最適だと思います。
編集室より






