人気ブログ「相場署名人コラム」で相場分析を執筆いただいている板垣哲史氏(株式会社トーマスモアコンサルティング代表取締役)、 林康史氏(立正大学経済学部教授)、マーフィー氏(アジア系銀東京支店の資金・債権・為替の統括)、永山卓矢氏(投資日報社専属記者)の皆様を潘福平(くにやす・FX 株式会社代表取締役社長)が目黒の中国料理「唐園」にお招きして「新春 著名人放談」を繰り広げました。
 今回は四回連続シリースの第一弾をお届けします。


★新春「著名人座談」第一回★

 皆様、ご無沙汰しています。
 私は現在立正大学経済学部の教授をしていますが、現学部長がくにやす・FXの潘社長と李副社長を大学院で指導していた関係でくにやす・FXを知りました。
 潘さんは同大学院博士課程を満期退学された後も日本に残り、為替取引の業界で活躍されています。

 林先生は、ご承知の通り、金融論、外国為替論の先生で、大学や大学院でインターバンクの仕組みを教えておられて、それが面白そうだったので受講することにしました。それまで、私はそうした授業を受けたことがなかったので、非常に興味深いものでした。インターバンク市場での為替取引がどのような仕組みか、普通はその複雑な枠組みをなかなか理解できないのですが、シミュレーションのゲームを用いて教えていただいたことで 複雑な仕組みも理解し易いと思いました。

 今、私は大学院でシステム取引の授業を行っていますが、ほとんど毎回、潘さんは出席して聴講していました。そうこうしているうちに、為替取引会社を経営されている潘さんに時々講演を頼まれ、またホームページも協力してほしいといわれたわけです。
 ただ、私が毎週執筆するのも荷が重過ぎますので、そこで板垣哲史さんとマーフィーさんにも毎月1回お願いすることになりました。残りの1週分――5週ある月については2週分になりますが――については別の方々の市況見通しを掲載することで、異なる意見も出していくことを考えました

 そこで一度、皆様がご都合のよろしい時に一同に会した席を設けられたらと思いまして、本日、お集まりいただいたわけです。

 私と皆様との関係を申し上げますと、板垣さんは以前、シティ・バンクのチーフ・ディーラーをされており、20年ほど前に私がシティ主催のゲームに参加させていただいたことがあります。
私が住友生命で為替取引の仕事を始めてから1~2年ほど板垣さんに教えていただいたものです。

マーフィー そうそう、このゲームはホテルを借り切って4泊5日程度かけて行うもので、各部屋にコンピュータの端末を置いて回線を引くという大掛かりなものでした。ホテル代は参加者の負担でしたが、設備機器関連その他の経費はすべてシティ・バンクが無料で提供していたものです。そこでの参加者には大蔵省や日本銀行の人たちまでいたものです。

 また、マーフィーさんは昭和55年に都銀に入行されていて、私と人生の同期です(笑)。
 為替取引の世界は面白いもので、銀行員になったにもかかわらず、為替業務に携わってしまうと「バンカー」というよりは「ディーラー」になってしまうものであり、行内よりは他行同士のディーラー間での“横”のつながりができてしまうのです。
 私とマーフィーさんを含むそうしたつながりで構成していた20~30人ほどの同好会で毎月か2ヵ月に1回ほど食事その他の会合がありました。全員で共同執筆して本を出したこともあります。それから、本日の書記をお願いした永山さんは大手商品取引会社の岡藤商事で調査関係の仕事をしていたころからの知り合いですが、よく知るようになったのは同業のアイメックスに移ってからです。アイメックスを退社された後は、特に投資日報社向けの執筆活動を中心に独立してライター等の仕事をされています。最初に知り合ったのは10年以上前ですが、仕事その他でよくお会いするようになったのは10年ほど前からです。

板垣 永山さんは私ともよく付き合いがありますが、いつ頃からでしたでしょうか。

永山 アイメックスを退社する直前ですから、2000年頃ではなかったかと思います。
 当時、私の下に(私より年長でしたが)外銀ディーラー出身者が入りまして、彼の紹介で板垣さんにお会いさせていただきました。活躍された世代が為替ディーラー界の第一世代といえるでしょうね。僕らは第五世代ぐらいかな?

板垣 1973年に変動相場制に移行した年に東京に為替市場がオープンして取引がスタートしましたが、その時には外資系銀行では日本人は私を含めて全員チーフ・ディーラーではなく“下っ端”のディーラーに過ぎず、上司はすべて英国人や米国人といった外人でした。それから2年ほど経ってから、日本人の中から優秀な成績を出している人がチーフ・ディーラーに抜擢されました。
 最初に為替取引が始まった時には日本人ディーラーが5人ほどいたものですが、そうした人たちが今では私を含めてこの業界の中では“偉そうに”しているわけです(笑)。
 そして、そうした人たちがまた相当に仲が悪いものです。その中には、Sさん、Sさん、Kさんといった顔ぶれも含まれています。Mさんあたりは4年遅れでこの業界に入ってきたので第二世代といえるでしょう。

マーフィー ミッドランド銀行にいらしたOさんは、どのあたりに入るのでしょうか。

板垣 彼が活躍していたのは私が第一線にいた当時から15年ほども遅れているので第三世代とでもいうべきでしょう。
 そもそも、昔の相場の世界はとても狭いものでした。誰が売ったか、買ったかといったことはすべてわかったものです。
 「A社のBさんが300万ドル売りました」といった情報が伝わってくると、それなら「オレも売ってみようか」といった気分になったものです(笑)。
ですから、私が活躍していた世代は、お互いに本当はどれほどの実力があるか、またどれだけ儲かっているかといったことがわかっていたものです――いうまでもなく、私も他の参加者から思われていたわけですが(笑)。
 ところが、誰が売ったか、誰が買ったか、というようなことを言うべきではないというような雰囲気になったのが80年頃のことです。その頃からようやくまともなマーケットになったといえるでしょう。

マーフィー でも、80年代後半になっても、どこが売ってどこが買ったかというようなことはやっていたと思います。
 中東勢が買ってきたとか‥‥。

板垣 売買の対象がA社やB銀行といった具体的なものではなく、より抽象的なものになったということです。

 タメイケとか地名の場合もありましたし、ニックネームで言うこともありましたね。
 実は、私は夕方に1000本ほど買うつもりで、300本(3億ドル)買ったことがあり、そうしたらマーケットが薄かったので、マーケットが一気に急上昇してしまった。それ以降はまったく買えなくなってしまったものです。
 ニュースには、この急上昇はある日本の生保の買い注文から始まったとしっかり出ていました(笑)。

マーフィー 日本の市場は正体がばれるといった秘匿性に関することがよく問題になったものです。
 例えば、私がシティ・バンクにいた時のことですが、自分の名前が知れることを嫌がる生保がいましたが、大量にドルを買ってから数時間後に名前が知れ渡ってしまったため、シティ・バンク内の電話録音をすべてチェックしたいきさつがあります。

 林さんが取引をしていた時には板垣さんはもうリタイアされていたのですか。直接的に戦ったことはないのですか。

板垣 もうリタイアしていて戦ったことはありません。

 私の先生ですから(笑)。それに私は生保でしたしね。一部を除いて銀行を敵とは思っていませんね、私は(笑)。

マーフィー 私がシティ・バンクでチーフ・ディーラーをしていた時には板垣さんはもう奥の方で控えていましたね。

板垣 そうそう。もう出番はないということで、干されていましたね。表面的には偉そうな態度をしていましたが(笑)。


 ☆ 語るな ☆

マーフィー 私には板垣さんから強烈なアドバイスをいただいたことがあります。
 シティ・バンクはよくマスコミに取り上げられますが、その時の取材に対して、自分のほうから相場の見通し等について話すことは良くないということです。なぜなら、自分が話したことに対して自らが影響を受けてしまうからです。話してしまうと、それに対して自分のポジションや相場観に縛られてしまうので、話さないほうが良いと言われたものです。そのことを、私はそれからあちこちで、引用させていただいています。

 話してはいけないというのは二つの意味があります。友情関係を壊したいというのであれば話をしたほうがいいでしょう。話を聞かされた相手は儲かったら自分が偉いと思うことでしょうし、損失を出せば話をした相手のせいだと思うからです。もう一つは自分がそれに縛られてしまうことです。上がると言ったのにここで売ったら皆から“裏切り者”呼ばわりされてしまうといったように、よけいなことを考えてしまうからです。

マーフィー 以前、私の前任者が久米宏司会のニュースステーションという番組でドル安の見通しを話しました。
 ところが、数ヵ月後にドル高に動くと、久米氏がその人に「以前、ドル安になると言っていましたよね」と言われてしまって、その人は格好がつかなくなってしまいました。

板垣 その人は、新聞その他のマスコミにコメンテイターとして登場するようになってから、成績がボロボロになってしまったものです。それ以前は優秀なディーラーだったのですが、マスコミに登場し始めてからまったく成績が振るわなくなってしまいました。
 総じて、私たちがマスコミその他で表明したことと逆のポジションをとれば、だいたい当たるものです。
 足元では円安が進んで1ドル=121円を超えてきましたが、そうした状況ではもっと円安・ドル高が進むと言った方が最も無難だからです。そのような時に円相場が反転すると言って外れてしまえば恥ずかしいものです。

 コメントを出す人が本当にそうした気持ちでいるのか、やや疑問なところがありますが、相場というのはトレンドができるとある程度それが続きますから、その流れに沿ってコメントを出していれば当たることが多いのは事実でしょう。

マーフィー 新聞その他に出てくるコメントは、ほぼすべてその通りです。例えば1ドル=120円の時に今週のレンジがいくらかと聞かれると、概ね118~123円といった具合に、上下に1~2円程度の幅をもたせるものです。
 どうしてもそうした当たり障りのない内容になってしまうのです。

 ずいぶん前ですが、イングランド銀行が1年間にわたり調査をしたことがありましたが、テクニカル・アナリストは基本的に同じレートを答えるのだそうです。ファンダメンタル・アナリストは上がるとその上昇のトレンドに基づいて答える傾向があるようです。
 ところが、テクニカルで分析している人たちは、聞かれた時のレートで答えるようです。

板垣 いずれにせよ、初めて為替取引をした人も、数十年も取引をしている人も、10分後にどうなっているかというのは、まったくわからないわけです。そうした意味では、そのような答え方をするのは誠に“フェア”であるといえます。
 未来はまったく未知の世界なのです。上がるか下がるかは数学的な確率では50%対50%なのですから、何も考えずに取引をしても半分の確率で当たるはずです。それにもかかわらず、どうして取引が上手くいかないことが多くなるのかというと、上手く上がった時に買うと上手くいったと思うので、すぐに利益を確定させようという誘惑に駆られるわけです。
 ところが、損失を出していると、なんとか損失を取り返すまで頑張ろうという気になるので、損失を確定させる――つまり損切りをするということは心理的につらいわけです。自らが行ったことに対して、間違いだったことを認めることになってしまうからです。ですから、理論的には上手く儲けたのと損を出すことは、本来確率的に50%対50%なのですから、例えば当たった時に3千万円儲けて、外れた時に2千万円損すれば利益が1千万円残る(場の一週間の金額)のですから、どうやって損失をできるだけ少なく抑えるかが課題になるのであり、そこに“心の鍛錬”が必要になってきます。上がると思って買ったのに下がってしまった時に、自分の判断が間違っていたと認めたくない、といった心理的な障害をいかに克服するかが重要になってくるわけです。
 つまり、自らの判断と逆の方向に相場が向かった時に、どこまでいったら損切りをするか、といったルールを厳格に設定しておくことが重要であるということになります。

 林先生からは、取引をする前にノートに書きなさいとよく言われたものです。
 いくらで取引を始めたか、いくらで手仕舞うか、ストップロスを設定して計画を立てて取引を始めるように言われました。そうでないと、自らの判断と逆の方向に相場が進むとその判断を誤りだとどうしても認めたくないために損失が大きくなってしまい、また利益が出てもすぐに利食ってしまうため、結局、トータルでは損失を出す人が多くなるということを教えていただきました。

 皆さんはストップロスを決めて取引をしているのですか。

マーフィー 基本的に決めるようにはしていますが、個人的な“モデル”があり、いくらを超えると、また下回ると売るなり買うなりといったシグナルが出るようになっており、そのようにプログラム上で設定されています。

 例えば、ジム・ロジャーズはまったくストップロスを設定しないものであり、自分が間違ったと思ったら初めて損切りするという姿勢です。
 ただ、このやり方は一般的な投資家は真似をしてはいけないかもしれなせん。“天才肌”の人ならそれでもいいでしょうが、一般的な人はそういうわけにはいかないでしょう。

~第二回へ続く~

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